私は学童クラブや児童館、間に保育園勤務をはさみつつ20年以上、主に小学生と関わってきました。

好きなことをして人の役に立ちたい

こんな信念を持ってます。

ジャム
はじめましてジャムです。

もと東京大学の理系研究者だったけど、
子どもと関わる世界に触れて魅力に気づき、
それまでの経歴をリセット、

「保育士資格を独学で取る」
からやり直した後発組です。

1章 子どもと出会う前の
いじめられてた暗い世界

たぶん私のもとの性格は
優しくて引っ込み思案の人見知り

内向的ってよく言われてましたね。

いま思えば、

ジャム
そんなん、
子どもに言っちゃダメでしょ

って思うんだけど、

まあ小学校の先生ですら、
私が目の前にいるのに母との面談でいってました。

母親も

そうですねぇ

みたいに答えたりして(笑)

そんな性格が災いしたのか、
小学校5年生くらいから押しの強い相手に
うまく主張しなかったりで、

"特定のやつの言いなり"みたいになってた。

まあ、早い話がいじめられてたんですわ。

のび太がジャイアンにやられるみたいな
分かりやすい暴力とかじゃなく、

いじめ
帰ったら◯◯に来い、

家から金を持って来い

あれを盗め

みたいな感じよ。
陰湿でしょ。

そいつは近所では挨拶もハキハキしてて、
よくできた子」で通ってたんだけど、

俺に対してだけは陰湿極まりなし。

ジャム
父親が単身赴任で、
寂しかったんかな?

まあ俺に当たるなよって思うんだけど。

どうやって脱したのかは
いじめの記事にかいたから、そっちで。

外遊び

そんな経験をしたんだけど、
不思議に腐らなかったんだ。

なんでかなあ?って考えてみると、
家が安定してたからかなって思う。

さらにいろんなことをできた経験。

もっと小さかった頃は、
自然科学系が好きで勉強することも多くて、
親も環境を用意してくれた。

工作ゾイドのモーター分解してなんか作ったり、
ミニ四駆とか改造したり、
虫取ったり、父親も釣りにつれてってくれたり、

近所の動物園でやってたスクールみたいのに、

申し込んだから
行ってきな

要は小学校低学年まで、
楽しく幸せに過ごせてたからだって思う。

いじめられてるときも自分には自信があって、
いまで言う自己肯定感もメチャ高かったから、

面と向かって逆らわないんだけど

ジャム
このヤロウ、
また無茶言いやがって

みたいな感じ。

不思議でしょ、
そんなくらいなら、従わなきゃいいのにって。

自分でもそう思います(笑)

でもまあ辛かったんですよ。
嫌でイヤでしょうがなかった。

特に親を裏切る

ヤツ
金もってこい

はキツかった。
別に裕福ってわけじゃないし。(6年生くらいよ)

脱出できなかったのは、
子どもの時に何も分からなかったからよね。

だからこの一連のいじめで得たものは、

分からないからって、
辛い思いをすることなんてない。

ってマインドです。

私が経験済みの、似たような悩み。
それで人が悩んでるなら
ドンドン教えて救いたいわけよ。

いじめ

そんなこんなで、いじめられ状態のまま、
持ち上がりで公立中学に行った。

勉強を好きでやってたからか、
塾にも言ったことないくせに、
学年400人くらいの中で成績はトップ

途中で邪魔ないじめっ子とオサラバし、
自己肯定感や自信を維持しつつ、
公立の地区一番の高校へ

高校で残念だったのは、
新しく友達を作れなかったこと。

内向的なのは変わらずデシタ・・・(苦笑)

週末とか中学の友達と麻雀とかやってましたね。

勉強好きだったから、
好きなことやって人の役に立ちたいってのが
ずっと継続し、
自然科学系を勉強するために大学へ行きました。

家は裕福でもないし、
尊敬していた父親を高校2年生の時に亡くし、
母親が年金で3人兄弟を養ってくれた。

学費は親戚の不動産社長が出してくれました。

普通そんな状況だと、金がボトルネックだけど、
そこも母の兄が不動産屋の社長で、
運が良かったと思います。

自信

ここまでで、だいたいのベースはできてました。

好きなことをして人の役に立ちたい

知らないからって辛い目にあうことない

これです。

研究者になることで、世の中に貢献したい
と思って大学に入ったから、
入学後はひたすら数学や物理学の勉強してた。

取らなくてもいい他の学科の授業まで受けてた。

そんな人周りにいなくて、成績もほぼ「優」
おかげで同じ学科で話の合うのは、
勉強してる2人のみでした(笑)

高校時代と同じく、学科では友達できず・・・

でもたまたま出会っちゃったんですよね、
たくさんの子ども達に。

次章に続きます。

2章 研究者になりたくて
入った大学で
子どもと出会った話

恵まれた幼少期を過ごしてたけど、
小学校5年生くらいからいじめられ、

それでも腐らず持ちこたえて
友達はできなかったけど高校まで行き、

好きなことをして人の役に立ちたい

と、当時のめり込んでいた物理学や数学を
勉強するためだけに大学に入ったところまで。

その大学で出会っちゃったんですよね、
たくさんの子ども達に。

それまで成績はよくて、
目的もはっきりしてたけど、
言ってみれば勉強ばっかり。

たまにゲームやって机の前でニヤニヤしてる、
暗いといえば暗い世界の住人でしたね。

大学ではサークルの勧誘が当時たくさんあって、
チラシをそこらじゅうで分けてるのを、
わんさかもらってきた。

そこで目をひいたのは

  • アーチェリー部
  • 自然の中で農業を子どもとやろう

この2つ。

山とか川とか好きだったのを思い出して、
農業の方に行ってみました。

当時は子どもはどうでも良かった、
というかよく知らなかった。

友達と小学生のころ遊んだのも、
公園で遊んだ記憶とかもあまりなくて、
虫取りとかしたかなあ程度。

子どもがかわいいとか言ってる友達を

ジャム
ロリコンか!?

ワケわからんな。。

という目で見ていたくらい、
子どもはどうでも良かったんですよ(笑)

ただ「自然」目当てで行ったそこで知ったのは、
農業はサブで子どもメインってこと。

原っぱ

先輩の車で連れられて来たのは
植え込みで囲われて、中の見えないけど
ブランコやすべり台の普通の公園

ジャム
なんで
こんなとこ
来るのかな?

って思ってたら、
植え込みの向こうがやけに賑やか。

と次の瞬間、、、

いま思えば普通の光景、
子どもの頃から友達と公園とかで遊んでたらね。

ただ私は高学年くらいからそんな経験は0だから、
かなり衝撃を受けた。

なんだ、この明るい世界は!

子どもたちが元気に遊んでる。

先輩たちが声をかけると、
子どもたちも寄ってきました。

子ども
新しいお兄さん来たの~?
男の子
おんぶして~

言われるままにしてあげると
チョー喜んでキャッキャ言ってる子どもたち。

まぶしい世界に戸惑いつつも、
たくさん遊びました。

これが私の原体験。

その後は毎週末に子ども達と遊ぶのが、
楽しみでしょうがなくなった。

大学に入ったのは
自分の好きなことをして人の役に立ちたい

研究者を相変わらず目指してたんだけど、
サークルのメンバーはほぼ教育学部。

そこで子どもたちへ向かう情熱を肌で感じ、
こっちもいいかなと思い始めました。

たまに
どうやったら教育学部に編入できるのか?
とか調べてみたり、

ジャム
いや、
俺は教育をしたいわけじゃない。

教育は
新しいものを作るってよりは、

次の世代につなぐだけで
単に繰り返すだけの維持活動だ!

こんなよく分からん考えをしてました。。

数学

そんなこんなで迷いつつ東京大学の大学院に進み
最先端の研究に関わるようになりました。

相変わらず週末は、子ども達と遊んでて、
サークルひとつだけじゃ隔週になっちゃうから、

  • 中央大学の教育サークルの活動に参加
  • 区のやってた子どもの活動ボランティア
  • 障害のある子の放課後支援ボランティア
  • 養護施設の外出ボランティア

要は

  • 研究か?
  • 子どもと過ごすか?

の2つだけをひたすらやってた。

友達と遊ぶ子ども

そして私の関わってた研究ってのが、
運がいいのか悪いのか、実用化は50年先って分野。

間接的には役に立つかもしれないけど、
実感がわかなかった。

まー、研究職ってのは
イメージで憧れて入るより
よほど地味で泥臭い仕事なんですよね。

ってのを入ってみて知りました。

一日中地下の研究室にこもってデータを取り、
パソコンで分析してたら

ジャム
いつの間にか夜だわ、、

みたいな繰り返し。

そして人間的な成長もできるかどうか。

最先端の研究所にもよく行ったけど、
ド田舎かつ、とても狭い人間関係。

教授
論文を変に書いたから
アイツはダメだ
学生
東大と京大の派閥が

どーだこーだ

ジャム
下らね。。

人と接するとかの方面では全く自信ナシ。
小学校ではいじめられ、
高校で友達いなかったから、

人間的な成長もしたかった。

成長も

子どもと遊ぶサークルの教育学部のやつらに
だいぶ引き上げてもらったのに、
また狭い世界に行くのか。。

研究はやめて就職、国家一種でも目指してみるか?
と頭をよぎったけど、
過労みたいだから一瞬で検討リストから外れた。

一応母にはここまで来たあとの進路変更を相談したけれど、

自分のやりたいことやりな

と後押ししてもらいました。

俺がやりたいのは、
教育以外での子どもとの関わり。

つまりイメージ先行で保育士になる!
ってなったわけ。。。

ジャム
若かった勢いだけで、
いま考えると
無謀だった気がしますね(笑)

結果論にはとても多くの人と出会い、
かわいい子どもたちと一緒に人間的な成長もでき、
幸せな人生を送れたと思うけどね。

研究職で間接的に人の役に立つよりも、
直接目の前の人の役に立ち、

自分の成長も実感したい
ってなった訳なんですよ。

好きなことをして人の役に立ちたい
は変わってません。

ただし、そう簡単でもなかった。

研究生活をやめたあとどうなったか・・・

次の章に続きます。

3章
働きだしてわかった
業界や子どもたちの
抱えている闇

中学までいじめられつつも持ちこたえ、
好きなことをして人の役に立ちたい
と研究者目指して大学に入ったけど、

まぶしすぎる子どもたちに出会い、
あまり深く考えずに
東京大学の大学院をやめるところまで
ストーリー形式で書いてきました。

後先考えずに思いだけでやめちゃったから、
とりあえずバイトをしながら、
保育士資格を取ることにした
私。

  • 児童館や学童クラブのバイト
  • ボランティアしつつ、
  • 居酒屋で夜中から朝まで働いてみたり、
  • 朝5時の弁当屋で箱に詰めるバイト
  • 朝5時のパン屋の品出し
  • パチンコ屋で玉を運ぶ仕事をしてみたり、
  • 引っ越しバイト
  • 道端で看板もって突っ立ってたり、
  • 倉庫で働いてみたりしました。

パチンコ屋さんの経験はかなり役に立った。
玉を運ぶんじゃなくてね。

それまでパチンコ打つヤツは廃人
みたいに思ってたけど(スミマセン)

数学的に勝つ方法が分かったから、
ちょっとやってみたら
食うのには困らなくなり、

バイトも必要なくなって時間も自由になった。

まあ余談、詳しくは書きません。

児童館のアルバイトしてたとき、

子どもたちの話を聞いたり、

家に不満があるらしく、
時間になっても帰りたがらない高学年、

ちょっとのことで興奮してしまって、
自分じゃ押さえられない小学生。

友達関係で悩んでる子もいっぱい。

ジャム
ああ子どもたちって
色々抱えてるのね。

そういえば俺もいじめられてたなあ、

あんな辛い思い、
こどものうちに経験しなくってもいい。

ボランティアレベルじゃ分からなかったことが、
だんだん見えてきた。

「分からないからって、
辛い目にあうこともない」

👆️こんなことを思いながら
来る日も来る日も勉強してました。

ここまでが、子ども施設に就職する前の私の経歴です。

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