私は学童クラブや児童館、間に保育園勤務をはさみつつ20年以上、主に小学生と関わってきました。
「好きなことをして人の役に立ちたい」
こんな信念を持ってます。
![](https://hoiku-pub.jp/wp-content/uploads/2021/03/通常.png)
もと東京大学の理系研究者だったけど、
子どもと関わる世界に触れて魅力に気づき、
それまでの経歴をリセット、
「保育士資格を独学で取る」
からやり直した後発組です。
1章 子どもと出会う前の
いじめられてた暗い世界
たぶん私のもとの性格は
優しくて引っ込み思案の人見知り
内向的ってよく言われてましたね。
いま思えば、
![](https://hoiku-pub.jp/wp-content/uploads/2021/03/閉口.png)
子どもに言っちゃダメでしょ
って思うんだけど、
まあ小学校の先生ですら、
私が目の前にいるのに母との面談でいってました。
母親も
![](https://gakudoclub.com/wp-content/uploads/2019/06/096927.png)
みたいに答えたりして(笑)
そんな性格が災いしたのか、
小学校5年生くらいから押しの強い相手に
うまく主張しなかったりで、
"特定のやつの言いなり"みたいになってた。
まあ、早い話がいじめられてたんですわ。
のび太がジャイアンにやられるみたいな
分かりやすい暴力とかじゃなく、
![](https://gakudoclub.com/wp-content/uploads/2020/10/436505.jpg)
家から金を持って来い
あれを盗め
みたいな感じよ。
陰湿でしょ。
そいつは近所では挨拶もハキハキしてて、
「よくできた子」で通ってたんだけど、
俺に対してだけは陰湿極まりなし。
![](https://hoiku-pub.jp/wp-content/uploads/2021/03/思案.png)
寂しかったんかな?
まあ俺に当たるなよって思うんだけど。
どうやって脱したのかは
いじめの記事にかいたから、そっちで。
![外遊び](https://gakudoclub.com/wp-content/uploads/2020/03/dbd5f50dd27b57153e7bd7fcaabe70f0_s-300x200.jpg)
そんな経験をしたんだけど、
不思議に腐らなかったんだ。
なんでかなあ?って考えてみると、
家が安定してたからかなって思う。
さらにいろんなことをできた経験。
もっと小さかった頃は、
自然科学系が好きで勉強することも多くて、
親も環境を用意してくれた。
工作ゾイドのモーター分解してなんか作ったり、
ミニ四駆とか改造したり、
虫取ったり、父親も釣りにつれてってくれたり、
近所の動物園でやってたスクールみたいのに、
![](https://gakudoclub.com/wp-content/uploads/2019/06/096927.png)
行ってきな
要は小学校低学年まで、
楽しく幸せに過ごせてたからだって思う。
いじめられてるときも自分には自信があって、
いまで言う自己肯定感もメチャ高かったから、
面と向かって逆らわないんだけど
![](https://hoiku-pub.jp/wp-content/uploads/2021/03/怒る.png)
また無茶言いやがって
みたいな感じ。
不思議でしょ、
そんなくらいなら、従わなきゃいいのにって。
自分でもそう思います(笑)
でもまあ辛かったんですよ。
嫌でイヤでしょうがなかった。
特に親を裏切る
![](https://gakudoclub.com/wp-content/uploads/2020/10/436505.jpg)
はキツかった。
別に裕福ってわけじゃないし。(6年生くらいよ)
脱出できなかったのは、
子どもの時に何も分からなかったからよね。
だからこの一連のいじめで得たものは、
分からないからって、
辛い思いをすることなんてない。
ってマインドです。
私が経験済みの、似たような悩み。
それで人が悩んでるなら
ドンドン教えて救いたいわけよ。
![いじめ](https://gakudoclub.com/wp-content/uploads/2019/12/ijime_boy-300x260.png)
そんなこんなで、いじめられ状態のまま、
持ち上がりで公立中学に行った。
勉強を好きでやってたからか、
塾にも言ったことないくせに、
学年400人くらいの中で成績はトップ。
途中で邪魔ないじめっ子とオサラバし、
自己肯定感や自信を維持しつつ、
公立の地区一番の高校へ。
高校で残念だったのは、
新しく友達を作れなかったこと。
内向的なのは変わらずデシタ・・・(苦笑)
週末とか中学の友達と麻雀とかやってましたね。
勉強好きだったから、
好きなことやって人の役に立ちたいってのが
ずっと継続し、
自然科学系を勉強するために大学へ行きました。
家は裕福でもないし、
尊敬していた父親を高校2年生の時に亡くし、
母親が年金で3人兄弟を養ってくれた。
学費は親戚の不動産社長が出してくれました。
普通そんな状況だと、金がボトルネックだけど、
そこも母の兄が不動産屋の社長で、
運が良かったと思います。
![自信](https://gakudoclub.com/wp-content/uploads/2020/01/036497-212x300.jpg)
ここまでで、だいたいのベースはできてました。
好きなことをして人の役に立ちたい
知らないからって辛い目にあうことない
これです。
研究者になることで、世の中に貢献したい
と思って大学に入ったから、
入学後はひたすら数学や物理学の勉強してた。
取らなくてもいい他の学科の授業まで受けてた。
そんな人周りにいなくて、成績もほぼ「優」
おかげで同じ学科で話の合うのは、
勉強してる2人のみでした(笑)
高校時代と同じく、学科では友達できず・・・
でもたまたま出会っちゃったんですよね、
たくさんの子ども達に。
次章に続きます。
2章 研究者になりたくて
入った大学で
子どもと出会った話
恵まれた幼少期を過ごしてたけど、
小学校5年生くらいからいじめられ、
それでも腐らず持ちこたえて
友達はできなかったけど高校まで行き、
好きなことをして人の役に立ちたい
と、当時のめり込んでいた物理学や数学を
勉強するためだけに大学に入ったところまで。
その大学で出会っちゃったんですよね、
たくさんの子ども達に。
・
・
それまで成績はよくて、
目的もはっきりしてたけど、
言ってみれば勉強ばっかり。
たまにゲームやって机の前でニヤニヤしてる、
暗いといえば暗い世界の住人でしたね。
大学ではサークルの勧誘が当時たくさんあって、
チラシをそこらじゅうで分けてるのを、
わんさかもらってきた。
そこで目をひいたのは
- アーチェリー部
- 自然の中で農業を子どもとやろう
この2つ。
山とか川とか好きだったのを思い出して、
農業の方に行ってみました。
当時は子どもはどうでも良かった、
というかよく知らなかった。
友達と小学生のころ遊んだのも、
公園で遊んだ記憶とかもあまりなくて、
虫取りとかしたかなあ程度。
子どもがかわいいとか言ってる友達を
![](https://hoiku-pub.jp/wp-content/uploads/2021/03/閉口.png)
ワケわからんな。。
という目で見ていたくらい、
子どもはどうでも良かったんですよ(笑)
ただ「自然」目当てで行ったそこで知ったのは、
農業はサブで子どもメインってこと。
![原っぱ](https://gakudoclub.com/wp-content/uploads/2019/06/field-4157478_960_720-300x200.jpg)
先輩の車で連れられて来たのは
植え込みで囲われて、中の見えないけど
ブランコやすべり台の普通の公園。
![](https://hoiku-pub.jp/wp-content/uploads/2021/03/思案.png)
こんなとこ
来るのかな?
って思ってたら、
植え込みの向こうがやけに賑やか。
と次の瞬間、、、
いま思えば普通の光景、
子どもの頃から友達と公園とかで遊んでたらね。
ただ私は高学年くらいからそんな経験は0だから、
かなり衝撃を受けた。
なんだ、この明るい世界は!
子どもたちが元気に遊んでる。
先輩たちが声をかけると、
子どもたちも寄ってきました。
![](https://gakudoclub.com/wp-content/uploads/2020/09/188222.jpg)
![](https://gakudoclub.com/wp-content/uploads/2020/08/098079.jpg)
言われるままにしてあげると
チョー喜んでキャッキャ言ってる子どもたち。
まぶしい世界に戸惑いつつも、
たくさん遊びました。
これが私の原体験。
その後は毎週末に子ども達と遊ぶのが、
楽しみでしょうがなくなった。
大学に入ったのは
自分の好きなことをして人の役に立ちたい
研究者を相変わらず目指してたんだけど、
サークルのメンバーはほぼ教育学部。
そこで子どもたちへ向かう情熱を肌で感じ、
こっちもいいかなと思い始めました。
たまに
「どうやったら教育学部に編入できるのか?」
とか調べてみたり、
![](https://hoiku-pub.jp/wp-content/uploads/2021/03/思案.png)
俺は教育をしたいわけじゃない。
教育は
新しいものを作るってよりは、
次の世代につなぐだけで
単に繰り返すだけの維持活動だ!
こんなよく分からん考えをしてました。。
![数学](https://gakudoclub.com/wp-content/uploads/2020/07/437140-1-300x220.jpg)
そんなこんなで迷いつつ東京大学の大学院に進み、
最先端の研究に関わるようになりました。
相変わらず週末は、子ども達と遊んでて、
サークルひとつだけじゃ隔週になっちゃうから、
- 中央大学の教育サークルの活動に参加
- 区のやってた子どもの活動ボランティア
- 障害のある子の放課後支援ボランティア
- 養護施設の外出ボランティア
要は
- 研究か?
- 子どもと過ごすか?
の2つだけをひたすらやってた。
![友達と遊ぶ子ども](https://gakudoclub.com/wp-content/uploads/2020/09/683655_s-300x200.jpg)
そして私の関わってた研究ってのが、
運がいいのか悪いのか、実用化は50年先って分野。
間接的には役に立つかもしれないけど、
実感がわかなかった。
まー、研究職ってのは
イメージで憧れて入るより
よほど地味で泥臭い仕事なんですよね。
ってのを入ってみて知りました。
一日中地下の研究室にこもってデータを取り、
パソコンで分析してたら
![](https://hoiku-pub.jp/wp-content/uploads/2021/03/閉口.png)
みたいな繰り返し。
そして人間的な成長もできるかどうか。
最先端の研究所にもよく行ったけど、
ド田舎かつ、とても狭い人間関係。
![](https://gakudoclub.com/wp-content/uploads/2020/11/Screenshot_20201123-2102162.png)
アイツはダメだ
![](https://gakudoclub.com/wp-content/uploads/2020/11/Screenshot_20201123-2102162.png)
どーだこーだ
![](https://hoiku-pub.jp/wp-content/uploads/2021/03/閉口.png)
人と接するとかの方面では全く自信ナシ。
小学校ではいじめられ、
高校で友達いなかったから、
人間的な成長もしたかった。
![成長も](https://gakudoclub.com/wp-content/uploads/2021/02/596591-150x150.jpg)
子どもと遊ぶサークルの教育学部のやつらに
だいぶ引き上げてもらったのに、
また狭い世界に行くのか。。
研究はやめて就職、国家一種でも目指してみるか?
と頭をよぎったけど、
過労みたいだから一瞬で検討リストから外れた。
一応母にはここまで来たあとの進路変更を相談したけれど、
![](https://gakudoclub.com/wp-content/uploads/2019/06/096927.png)
と後押ししてもらいました。
俺がやりたいのは、
教育以外での子どもとの関わり。
つまりイメージ先行で保育士になる!
ってなったわけ。。。
![](https://hoiku-pub.jp/wp-content/uploads/2021/03/笑う.png)
いま考えると
無謀だった気がしますね(笑)
結果論にはとても多くの人と出会い、
かわいい子どもたちと一緒に人間的な成長もでき、
幸せな人生を送れたと思うけどね。
研究職で間接的に人の役に立つよりも、
直接目の前の人の役に立ち、
自分の成長も実感したい
ってなった訳なんですよ。
「好きなことをして人の役に立ちたい」
は変わってません。
ただし、そう簡単でもなかった。
研究生活をやめたあとどうなったか・・・
次の章に続きます。
3章
働きだしてわかった
業界や子どもたちの
抱えている闇
中学までいじめられつつも持ちこたえ、
「好きなことをして人の役に立ちたい」
と研究者目指して大学に入ったけど、
まぶしすぎる子どもたちに出会い、
あまり深く考えずに
東京大学の大学院をやめるところまで
ストーリー形式で書いてきました。
後先考えずに思いだけでやめちゃったから、
とりあえずバイトをしながら、
保育士資格を取ることにした私。
- 児童館や学童クラブのバイト
- ボランティアしつつ、
- 居酒屋で夜中から朝まで働いてみたり、
- 朝5時の弁当屋で箱に詰めるバイト
- 朝5時のパン屋の品出し
- パチンコ屋で玉を運ぶ仕事をしてみたり、
- 引っ越しバイト
- 道端で看板もって突っ立ってたり、
- 倉庫で働いてみたりしました。
パチンコ屋さんの経験はかなり役に立った。
玉を運ぶんじゃなくてね。
それまでパチンコ打つヤツは廃人
みたいに思ってたけど(スミマセン)
数学的に勝つ方法が分かったから、
ちょっとやってみたら
食うのには困らなくなり、
バイトも必要なくなって時間も自由になった。
まあ余談、詳しくは書きません。
児童館のアルバイトしてたとき、
子どもたちの話を聞いたり、
家に不満があるらしく、
時間になっても帰りたがらない高学年、
ちょっとのことで興奮してしまって、
自分じゃ押さえられない小学生。
友達関係で悩んでる子もいっぱい。
![](https://hoiku-pub.jp/wp-content/uploads/2021/03/なく.png)
色々抱えてるのね。
そういえば俺もいじめられてたなあ、
あんな辛い思い、
こどものうちに経験しなくってもいい。
ボランティアレベルじゃ分からなかったことが、
だんだん見えてきた。
「分からないからって、
辛い目にあうこともない」
👆️こんなことを思いながら
来る日も来る日も勉強してました。
ここまでが、子ども施設に就職する前の私の経歴です。
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